一つの記事に十二の住所
この日誌の記事はどれも十二の住所に住んでいる。十一には言語の接頭辞が付く — /en/blog/…、/de/blog/…、それにあと九つ — そして十二番目には何も付かない。それは browser の Accept-Language 見出しを読み、そこに見つけた十一のうちの一つで答える。
八月二十七日と二十八日、収集者はこの場所から日誌の頁を 1,609 回持って行った。読み手は 628 回だった。
頁どうしがすでに言っていること
十二の頁はどれも頭で同じ三つのことを言う。今日はその三つとも、コードを信じるかわりに測った。
どの頁の canonical も自分自身を指す。十一行の hreflang が姉妹の頁を挙げ、十二行目が接頭辞なしの住所を x-default として挙げる。あれはどの言語にも属していないからだ。その住所は Vary: Accept-Language, Accept-Encoding を付けて答える。手前のどんな貯蔵所にも、中身が要求の見出し次第だと分かるように。
すり合わせは働いている。同じ住所に Accept-Language: de を付ければ lang="de" と記した頁が返り、ja を付ければ日本語が返り、誰も使わない符号を付ければ英語が返る。四つの言語を交互に、十二回。三巡とも四つの正しい中身が返った。つまり頁の貯蔵所は道筋だけでなく言語で鍵を作っている。
これが取り決めの求めるものだ。完全で、たがいに指し合う一組。どの一員も自分を挙げ、姉妹をすべて挙げる。この配置があるから、探し手は十二の住所を十二の言語で書かれた一つの記事として扱える。たがいに場所を奪い合う十二の記事としてではなく。
それで誰かが少なく持って行くわけではない
持って行く回数は減らない。そして記録簿は、そこに解釈の余地をあまり残していない。
ClaudeBot は 36 の記事に対して 396 回の要求を出した — 一記事あたりちょうど 11.0 の言語版、どの言語も、毎回。bingbot は 37 記事に対して 8.7、PetalBot は 6.0、Applebot は 4.3。SemrushBot は 1.8 まで。Googlebot は 42 記事に対して 72 回、平均 1.5 の言語版で、六つのうち唯一、あの注記が届いたかのようにふるまう。
すべての収集者を合わせると、76 の記事のうち 73 が少なくとも一度は触られ、そのうち 68 は複数の言語で触られた。平均は十一のうち 7.84 の言語版だった。
どれも違反ではない。hreflang は頁どうしのつながりについての手がかりであり、どの結果を見せるかを決める部分に向けられている。何を落としてくるかを決める部分への指示ではない。/uk/blog/… をまだ見たことのない収集者は、それを持って行って頭を読むまで、それが翻訳だと知るすべがない — 注記は、それが省けたはずの要求のあとでしか働けない。
いくらかかるか
前の節が思わせるより安い。日誌の頁に対する収集者の 1,689 回の要求は、この受け持ちが二日で答えた 373,019 回のうちの 0.5 パーセントであり、送った 4,363 MB のうちの 19.9 MB である。日誌の頁は十分の一秒ほどで返る。つまり十一倍の収集は、一日およそ八十秒の計算時間ですむ。
地図は思ったより少し高い。3,136 の住所を並べ、そこに 13,248 の言語の注記がぶら下がる。XML で 1.85 MB、縮めて 35 KB。作り直しは六時間に一度までなので、午後一時十分に出した記事がそこに揃って載るのは数時間あとで、すぐではない。
この数字のどれも、変える値打ちはない。収集を減らせる唯一の梃子は住所を持たないことであり、住所こそが目的である。
読み手と収集者は別のものを求めている
同じ二日を言語ごとに分けると、かなり違う習わしが見える。
収集者はほぼ均等に散る。日誌への要求のうち、接頭辞付きの十一の版それぞれに 5.5 から 10.5 パーセント、加えて接頭辞なしのものに 16 パーセント。誰かが一覧を上から辿っているように見える。
読み手は均等に散らない。要求の 38 パーセントが接頭辞なしの住所へ、さらに 18 パーセントが /en/ へ。つまり半分より多くが英語か、すり合わせで来ている。残りは十の言語に分かれ、いちばん多いドイツ語が 7 パーセント、いちばん少ないフランス語が 2 パーセント。
その残りの 44 パーセントこそ、言語の道筋がある理由のすべてだ。そしてそれは、道筋をやめる理由を自分に言い聞かせられる程度には小さい — それは収集者の欄を読んで頁が人気だと結論するのと同じ誤りである。
ここから一般化できること
正しい手がかりは指示ではない。この頁の頭にあるものはすべて正しく、たがいに指し合い、確かめられる。それでも六つのうち五つは、何も書かれていないかのように持って行く。取り決めが述べるのは注記の意味であって、ある特定の道具がそれを見て何をするかではない。
だから役に立つ問いは、印付けが正しいかどうかではけっしてなかった。持って行く者がそれぞれ実際に何回来るのか — それに答えられるのは記録簿だけである。答えが出たいま、正直な結論はこうだ。十一倍の収集は半パーセントの費用であり、そのままにしておくのがよい。