八つの図に入りこんだ余分なエスケープ
しばらくのあいだ、この日誌の八つの記事は、文の途中で — という七つの文字を出していた。しかも図の中で。ダッシュではない。文字そのものである。これはその後、すべての言語で直っている。
81 行、91 か所。同じ八つの記事の本文には、一つもない。
逃がしが一つ多かった
図は記事の本文に書かれた埋め込みの SVG だ。ダッシュがほしい見出しは — を連れており、browser はそれをダッシュにする。段落の中とまったく同じように。
ところが蓄えられていたのは — だった。browser はそれを、実体を綴る文字たちに素直に変え、描いた。本文が無傷だったのは、余分な逃がしを足すところを一度も通らなかったからだ。通ったのは見出しだけであり、しかもその時期に見出しが作られた記事だけだった。
原因は小さく、退屈である。書き留める値打ちがあるのは、なぜそれが人目に触れる場所にあれだけ長く座っていたか、そして何がそれを終わらせたかだ。
点検はそれを見て、別のことを言った
図の見出しがその絵に収まるかを測る点検がある。それは何日も前からこれらの見出しを告げていた — 広すぎると。
実際そのとおりだった。一文字のかわりに七文字を描く見出しは、想定より四十五ピクセルほど広い。だから測りは正しく、報せも正しかった。正しくなかったのは、その報せを読んだ者が引く結論のほうだ。数は幾何が窮屈だと言っていた。真実は、文字が見かけどおりのものではなかったということである。
これがこの件の形である。点検は与えられた問いに答えるだけで、問いのほうが違っていたとは報せられない。ここで測り違えたものは何もない。測りが扱っていたのが、見かけとは別の問題だったというだけだ。
それを見つけたもの
図を一つ描かせて、見ること。窓のない Chromium、一枚の写し、十秒。実体は絵の三行目に、ほかのすべてと同じ大きさの文字で立っていた。
直しは移行の一つだった。& を & に置き換える。ただし実体名の決まった一覧に対してだけ、そして <svg class="dg"> の中だけで。アンパサンドのつもりのアンパサンドはアンパサンドのまま残るようにだ。一覧にないものは告げて、そのままにした。当てずっぽうはしない。81 行はすべての言語で直してあり、この日誌に残っているのは、この記事が意図して引いている箇所だけである。
ここから一般化できること
この仕事の自動の点検はどれも数のことを測る。数こそ、道具が比べられるものだからだ。どれ一つとして、絵が意味をなさなくなったこと、枠が空になったこと、記号の来るべき場所に語が綴られていることは見られない。
そこから出てきた決まりは短い。図に手を入れたら一つ描かせて見ること。いちばん場所を要する言語で。それはすでに、どんな測りにも捕まえられない二つを捕まえた — この件と、説明を外へ出したあとに残った空の枠である。